「アダルトチルドレン」という言葉は、聞いたことがある人も多いと思います。ネットで診断を見たことがある人もいるでしょう。でも、一般的な説明を読んで「少しずれているな」と感じたことはありませんか。アダルトチルドレンは、単なるトラウマや毒親の話ではありません。その正体を、HSPとの違いも含めて、ていねいに見ていきます。
アダルトチルドレンは、単にトラウマを持っている人のことでも、毒親に育てられた人だけのことでもありません。
ここで定義するなら、アダルトチルドレンとは「親子逆転が起こっている状態」です。本来は親が子どもの面倒を見るもの。その逆——子どもが親の面倒を見ざるを得なかった環境で育ち、その経験が大人になってからの生きづらさにつながっている人のことです。
アダルトチルドレンは、1970年頃のアメリカで言われ始めた言葉です。最初はアルコール依存症の親を持つ子どもにメンタル面の問題が起こることが注目され、そういう家庭で育った子をそう呼ぶようになりました。その後、アルコールに限らず機能不全家庭全般——親との関係に問題があり、その影響で生きづらさを抱えている人を指す言葉になっていきました。
親子逆転とは、子どもが親の面倒を見ざるを得ない状態のこと。「面倒を見る」には2種類あります。
① 体のお世話。
親の体が弱くて看病した。片親で、子どもの頃から食事を作り、片付けをした。家を回すために、親の代わりに子どもが動いていた。
② 感情のお世話(←ここが見落とされがち)。
親が不機嫌だったり怒っていると、顔色を見ながらなだめ、機嫌を取る。両親が喧嘩していると、わざとピエロのようにふざけて家の中を安定させる。大人のように仲裁役を買って出る。「お母さん大丈夫かな」「お父さん大丈夫かな」と、いつも親を気にかけて生きてきた。——これも立派に、親の面倒を見てきたということです。
アダルトチルドレンの大きな特徴は、子どもの頃に、子どもらしくいさせてもらえなかったこと。自分のことに集中できず、親のために感情や体のお世話をしなければいけなかった。
嫌々だった自覚がある人もいれば、親が大好きで助けることに喜びを感じていた人もいます。でも、どちらにしても——安心できる親のもとで、のびのび育つ。それが健全な愛着や自己肯定感を育てます。そこができなかったときに、アダルトチルドレンの生きづらさが起きてきます。
自分がやりたいこと、生きたい人生が、あまりよくわからない。子どもは本来、好きなお絵描きや遊びに夢中になりたいもの。でも親が悲しそうだと「何とかしてあげなきゃ」と、自分のやりたいことを止めて親のために動いてきた。その我慢が積もると、悲しみ・怒り・悔しさも心の中に積もっていきます。「仕方なかった」と納得しているつもりでも、納得できていない部分が無意識に押し込められていることがあります。
不機嫌な人がいると気になる。誰かが怒っていると、自分の具合まで悪くなる。これは、子どもの頃に親の機嫌を見ることでしか、その場で生きていけなかった感覚が残っているから。大人になって、自分と関係ない人が怒っているだけでも、体がざわざわしたり、強い不安を感じたりします。
頑張っていないと、誰かの役に立たないと、自分に価値を感じられない。「資格を取ったら」「お金を持ったら」「結婚できたら」ここにいていい——そんなふうに、条件つきでしか自分を許せない。本当は、何もできなくても、このままの自分でいていい。その感覚(=自己肯定感)が育ちにくいのです。
最近は、相手の感情が気になる・刺激に敏感というと、すぐ「私はHSP」と考えがちです。もちろん生まれつき敏感な人もいます。でも、育ちが原因で——親の面倒を見なければいけなかった家庭の中で、強い警戒心や認知のゆがみが身につき、HSPのような状態が出ている人もいます。
先天的なHSPと、育ちによって相手の感情を過剰に気にするようになった人は、同じではありません。「HSPだから仕方ない」で止めてしまうと、本当は育ちの影響にアプローチすることで変わっていける部分を、見逃してしまうことがあります。
暴力も、暴言も、ネグレクトもなかった。ご飯も住む場所も、ちゃんと与えられていた。——だから「自分は恵まれている。苦しいなんて言っちゃいけない」と思ってしまう人は、とても多いです。
でも、たとえば親が自分の思い通りにならないと機嫌を悪くする人だったら。毎日その顔色を読み、機嫌を取り、愚痴を聞いて育ったなら。——それは外から見えないだけで、子どもには大きな負担です。「ひどいことをされたわけじゃないから」と我慢してきた人ほど、“当たり前すぎて”原因に気づくのに時間がかかります。苦しいと感じていること自体が、もう十分な理由です。
親と距離を取れば、すぐ楽になる。そう思っていたのに、離れた後にやってくるのが、空虚さ・虚しさ・そして怒りだったりします。
今まで、自分の時間も気持ちも、ぜんぶ親のために使ってきた。その“使い道”が急になくなると、心にぽっかり穴があく。そして、ずっとフタをしてきた「本当は悲しかった」「本当は怒っていた」が、ここで初めて噴き出してくる。——これは悪化じゃなくて、後回しにしてきた感情が、やっと順番を待っていたということ。ここを通ることが、回復の途中だったりします。
ふざけている人、ちゃんとしていない人を見ると、ものすごく腹が立つ——。それは、自分が抑え込んできたものが、その人に投影されているから。本当は自分も、何も考えずに遊びたかった。馬鹿なことをして騒ぎたかった。でも「しっかりしなきゃ」「親を助けなきゃ」と、自分の中の子どもらしさを抑えてきた。だから、その部分に向き合って解放してあげることが大切になります。
まずは気づくこと。親の機嫌を取っていなかったか。感情のお世話をしていなかったか。子どもなのに、大人のように振る舞っていなかったか。
そのうえで、抑え込んできた本当の感情を迎えに行ってあげる。親が大変だったことはわかる。助けたかった。大好きだった。それでも、本当は我慢していた自分を認めていい。
「ほんとは、あんなことしたくなかった」
「大人びた自分なんて、望んでなったわけじゃない」
「もっと自分の意思で生きたかった」
「親の機嫌を取っていないと、この場にいられなかった」
そんな悲しみや悔しさを感じていくことが、生きづらさを楽にしていきます。親を悪者にする必要はありません。親が大変だったことを理解していても、自分が苦しかったことは認めていい。「親を助けたかった気持ち」と「本当は自分も子どもでいたかった気持ち」は、同時にあっていいのです。
何をしたいか、どう生きたいか、すぐにはわからないかもしれません。でも、わからないなりに自分に聞いていく。「私は何がしたい?」「本当は何が嫌だった?」「本当は何を我慢していた?」——最初から答えが出なくていい。親のために生きた時間が長いほど、少しずつ取り戻していくものです。
「あのときの自分は、あれしかできなかった」と理解しながら、今の自分に少しずつ主導権を戻していく。そのままの自分で、生きていい。誰かの役に立たなくても、頑張っていなくても大丈夫。その感覚を育てていくことが、回復の始まりです。
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※ 本ページは医学的な診断ではありません。アダルトチルドレンは臨床研究が十分でなく、定義にも議論がある概念です。つらさが強いときは専門機関・医療にもご相談ください。心をラクにするための気づきを目的としています。
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