殴られたわけじゃない。ごはんも、住む場所も、ちゃんとあった。だから、「私はつらかった」と、言いにくい。——でも、心のどこかにずっと、名前のつかないモヤモヤがある。それは、親はいたのに、“親としての機能”がなかった——そこにいたのは、親の形をした空席だった、ということなのかもしれません。
親がいなかったわけじゃない。むしろ、ちゃんとそこにいた。でも、こっちの気持ちに寄り添ってはくれなかった。話を聞いてもらえなかった。泣いても、「わがまま」「甘えるな」と言われた。——存在はあったのに、“支え”がなかった。
これが、いわゆる分かりやすい虐待より、ある意味やっかいなんです。だって、傷の証拠が見えないから。「衣食住はあったよね」「愛されてたでしょ」と言われると、自分でも「私が贅沢なだけ?」と、傷をなかったことにしてしまう。
殴られた痕も、飢えた記憶もない。あるのは——「ちゃんと見てもらえなかった」「気持ちを受け取ってもらえなかった」という、静かな不在の記憶だけ。だから誰にも言えず、自分でも「大したことない」と飲み込んで、ずっと一人で抱えてきたのかもしれません。
でも、はっきり言います。心に寄り添ってもらえなかったことは、立派な傷です(情緒的ネグレクト、と呼ばれることもあります)。見えないからこそ、長く、深く残る。あなたのモヤモヤは、気のせいでも、贅沢でもありません。
あの頃の“不在”は、大人になった今も、こんな形で顔を出します。
——ひとつでも頷いたなら。それは、あなたが「甘えちゃいけない」「泣いちゃいけない」を守って、必死に生き延びてきた証拠です。
さらにつらいのは、大人になってから「いつまでも親のせいにするな」「育ててもらったでしょ」と言われること。——そうやって、もう一度、自分のせいにされてきた。これは、あまりに酷なことでした。
でも、覚えておいてほしい。「何が起きていたのか」に気づくことは、親を一生恨むためじゃない。自分を回復させるために、まず事実を正しく見る——ただそれだけのこと。原因を知ることは、責任転嫁ではありません。
「衣食住はあった。でも、ちゃんと心に寄り添ってはもらえなかった」——それを、贅沢だと打ち消さないで。あなたはただ、当たり前に必要だった“支え”を、受け取れなかっただけ。それは、悲しいことだよ。
あの頃もらえなかったものは、もう親からは戻ってこないかもしれない。でも、「頼る」「受け取る」「甘える」の回路は、大人になった今からでも、少しずつ育て直せます。それは“自分の解毒”とも呼べる、静かで大切な作業。焦らなくていい。まずは、ずっと一人で泣いてきた小さなあなたに、あなた自身が「よく頑張ってきたね」と言ってあげることから。
おかしくありません。衣食住が足りていても、心に寄り添ってもらえなかった(情緒的ネグレクト)ことは深い傷になります。“わかりやすい被害”がないぶん気づきにくく、かえって長く残ることがあります。
つらくて当然です。原因に気づくことと、親を一生恨むことは別。まず“何が起きていたのか”を理解することは、責任転嫁ではなく、自分を回復させるために必要なステップです。
「甘えるな」「泣くな」と抑えられ、寄り添われた経験が少ないと、頼る・受け取るの“回路”が育ちにくくなります。努力不足ではなく機会がなかっただけで、今から育て直せます。
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これは、心のしくみを見つめるための読み物です。医学的な診断ではなく、すべての人に当てはまるわけでもありません。つらさが強いときは、ひとりで抱えず、専門家や相談窓口も頼ってくださいね。