ひどいことを平気で言う親。大事にしているものを、鼻で笑って否定してくる。——それなのに、心のどこかで、まだ「見返したい」「すごいと言わせたい」「認めてもらいたい」と思ってしまう。そんな自分に、嫌気がさすこともある。でも、それは弱さでも未練がましさでもなく、幼い頃の「一度でいいから、ちゃんと褒められたかった」という願いが、まだ満たされていないだけなのかもしれません。
少し痛い話をします。「見返したい」「気に入ってもらいたい」——そう思っている時点で、心はまだ親の評価という土俵の上に立っているんです。憎んでいても、離れていても、「あの人に認めさせたい」がある限り、親はあなたの中で“審査員”のまま。あなたの大事な時間とエネルギーが、そこに吸い取られてしまう。
これは責めているんじゃありません。むしろ自然なこと。だって、子どもにとって親の合格点は、生きるために必要なものだったから。もらえなかったぶん、大人になった今も、無意識に取りに戻ってしまう。
親の趣味じゃないものは、買ってもらえなかった。好きな音楽を「こんなのどこがいいの」と言われた。だから——好きなものを、隠れて楽しむクセがついた。大人になっても、無意識に「親が気に入りそうな服」ばかり選んでいた。そんな覚え、ありませんか。
それは、あなたの好みがないんじゃない。「好き」を出したら否定される、と学んでしまっただけ。本当は、あなたには、ちゃんと「好き」がある。それを、もう隠さなくていい。
「見返したい」の下をそっとめくると、たぶんこれが出てくる。——ひどいことを言う人にすら、一度でいいから「いいね」って言ってほしかった。それくらい、あなたは認められたかった。その願いは、なにもおかしくない。子どもなら、当たり前に持っていい願いです。
親を見返そうと、また作品を見せに行く。すると案の定、またバカにされて、また傷つく。——この繰り返しから抜けるには、合格点をくれない人のところへ、もう取りに行かないこと。
あなたの好きなものを「いいね」と言ってくれる人は、他にいます。あなたが作ったものを「上手」と言ってくれる、あなた自身の子どもだったり。そして何より、あなた自身が、あなたの「好き」に「いいね」を出してあげられる。親からの一点をもらいに戻るより、すでにある「いいね」を受け取るほうへ、少しずつ軸を移していく。それが、囚われから自由になる道です。
「見返したい」は、まだ心が親の評価に囚われているサインです。憎んでいても、奥に『一度でいいから認めてほしかった』という満たされない願いが残っているため、大人になっても合格点を取りに戻ってしまいます。
「見返す」は同じ土俵に立ち続けること。あなたの好きなものを『いい』と言ってくれる人(自分自身や身近な人)の声を受け取るほうへ、少しずつ軸を移すことが助けになります。
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これは、心のしくみを見つめるための読み物です。医学的な診断ではなく、すべての人に当てはまるわけでもありません。自分の気持ちを観察する“ひとつの角度”として使ってみてください。