親への恨みが、自分の才能まで見えなくしていた
親への恨みが、自分の才能まで見えなくしていた
最近、親や祖父母の職業に対して、自分がずっと持っていた偏見を掘り下げていた。
正直に言うと、私は「ブルーカラーの仕事をしていたから、うちは幸せな家庭になれなかったんだ」と思っていたんだよね。
ホワイトカラーの仕事じゃないと裕福になれない。体を使って働いていても、生活は楽にならない。そんな思い込みがあったし、そこで働いている人の人格まで、勝手に低く見ていたところもあった。
でもさ、自分自身もそういう仕事をしてきたわけよ。
産業廃棄物の現場で働いていたし、トラックにも乗っていた。家電を解体したり、黙々と体を動かしたりすることも、別に嫌いじゃなかった。むしろ、やりがいを感じていた部分もあった。
なのに、楽しいと思う気持ちの横には、いつも「こんな仕事を続けていたら将来がない」「このままだと、自分の両親みたいになる」っていう不安があった。
好きなところもあるのに、ここにいる自分は認めたくない。
ずっとそんな葛藤を抱えていた。
それで、その仕事の何がそんなに嫌なのかを掘り下げていったら、出てきたのは職業の話じゃなかった。
仕事が忙しくて、かまってもらえなかった悲しみ。
私を見てほしかったのに、見てもらえなかった怒り。
それが、親の職業とセットでくっついていたんだよね。
私にとっては「親がしていた仕事」が、寂しかった子ども時代を思い出させるものになっていた。
だから、その仕事だけじゃなくて、同じような仕事をしている人まで否定していたんだと思う。
本当は、もっとかまってほしかったんだよね。
仕事の種類が変われば、それだけで幸せな家庭になれたわけでもないのにさ。
ここが見えてきてから、今の自分の仕事の見え方も変わってきた。
私は今、WEBサイトを作ったり、記事を書いたり、外に出て働いたりしながら、自分なりのパラレルキャリアを作っている。
そうやって動いている自分を見たら、今まで否定してきた家族のいいところが、普通に自分の中にあることに気づいたの。
父親は、ものづくりができる人だった。
何もないところから形を生み出す技術と才能。
全体の構造を把握して、どう組み立てればいいのかを考えられる力。
私がWEBサイトの仕組みを考えて、必要なものを組み合わせて形にしていくことも、使いながら細かいところを直していくことも、作るものは違うけど、父親の得意だったことと重なるんだよね。
母親は料理人で、料理の技術も知識も持っている。
私は今、同じ仕事をしているわけじゃないけど、自分の持っているものを組み合わせて、誰かに届けられる形にしていくところに、母親とのつながりも感じる。
そして、私自身が栄養学や体の仕組みを勉強していて、小学生の頃からずっと料理はしてきたから、ある程度料理の腕前は自信がある。
そして、おじい。
農業の仕組みそのものが人生の縮図を表しているっていう教えも、今、自分の仕事や生き方を考える中で、前よりずっと身近に感じるようになった。
村一番の大工さんだったおじいの、ものづくりへのこだわりもそう。
サイトの細かいところが気になって、ずっと修正してるww
もっと使いやすくしたい。
ここも直したい。
まだ良くできるはずって、なかなか終われない。
そういう自分を見ていると、おじいのこだわりも、ちゃんと私の中にあるんだなって思う。
ノロの血筋ということにも、今は自分なりのつながりを感じている。
見えない世界のことを、現実の生き方や選択にどうつなげていくか。
私がずっと考えていることにも、家系から受け取ったものがあるのかもしれない。
こうやって見ていくと、今の私が持っているものって、おじい、おばぁ、父親、母親のいいところが混ざり合ったものなんだよね。
ずっと「もっと違う家系に生まれていたら幸せだっただろうな」って思ってきたのに、その家族から受け取ったものを使って、今、自分のやりたいことをやっている。
これに気づいたときは、さすがに見え方が変わった。
私は、自分には足りないものばかりだと思っていたけど、持っていたものもちゃんとあったんだなって。
ただ、それを自分の力として認められるようになったのは、間違いなく、ここまで掘り下げてきたからだと思う。
数年前の私も、同じものを持っていたはず。
でも、その頃はこんなふうに自分の仕事を作って、自分らしく動くことができなかった。
「この家系だから無理」
「親がこうだったから、私もこうなる」
そうやって、過去の家族の姿を、自分の未来にまで当てはめていたんだよね。
私が「こんなふうに生きたいな」と感じる人たちを見ていると、先祖を大切にしている人が多いように思う。
先祖を大切にすれば成功する、なんて単純な話ではないけど、自分につながってきたものを認められると、自分の中にある良いものも受け取りやすくなるのかもしれない。
今回の掘り下げを通して、私はそんなふうに感じた。
毒親に育てられたことも、寂しかったことも、なかったことにはならない。
無理に親を許す必要もないと思う。
でも私は、ずっと「あんな親」「こんな家系」って否定してきたから、自分の中にある、家族から受け継いだいいものまで認められなくなっていた。
才能がなかったんじゃない。
家族への怒りと一緒に、自分が持っているものまで否定していた。
これこそが、私の才能開花を止めていたブロックだったんだと思う。