9月9日は重陽の節句|陽が極まる日に、これからの生き方を考えた
今日、9月9日は「重陽の節句」
ひな祭りの3月3日や、端午の節句の5月5日、七夕の7月7日はよく知られているけど、9月9日の重陽の節句って、同じ五節句なのにあまり話題にならないよね。
私も、「そういえば今日って重陽の節句だったよね?」と思い出して、改めて意味を調べてみた。
昔の中国では、奇数は「陽」の数と考えられていたらしい。
その中でも一番大きな奇数である「9」が二つ重なる9月9日だから、「陽が重なる」と書いて重陽。
菊の花を飾ったり、菊を浮かべたお酒を飲んだり、栗ご飯を食べたりしながら、無病息災や長寿を願う日だったそうだ。
旧暦の9月9日は、今でいう10月中旬頃。
ちょうど菊が咲き、秋の実りを感じられる時期だった。
今の沖縄で9月9日と言われても、まだまだ普通に夏なんだけどねww
それでも「陽が極まる日」と聞くと、今の私にとっては妙に引っかかるものがあった。
前へ進むエネルギーばかり使っていた
ここ最近の私は、ずっと何かを動かしていた気がする。
WEBサイトを作って、修正して、また新しいアイデアを思いついて、さらに手を加える。
在宅以外の仕事にも行くようになって、今まで関わらなかった人や場所にも触れるようになった。
そこで感情が動けば、自分の内面を掘り下げる。
一つ答えが見つかったと思ったら、また次の課題が出てくる。
仕事をする。
考える。
改善する。
行動する。
また考える。
楽しいから続けられているし、自分で選んでやっていることではある。
それでも、ときどき自分でも、
「私、ずっと何かしてない?ww」
と思う。
パソコンを開けば、直したいところが見つかる。
時間が空けば、何か新しいことを始めたくなる。
休むために生まれた時間まで、別の予定や作業で埋めようとしてしまう。
私の中の「陽」が、ずっと働き続けているような感じ。
極まることは、増やし続けることではないのかもしれない
陽が極まると聞いたとき、最初はエネルギーが最大になる日のように感じた。
でも今の私には、
「もっと動け」
「もっと頑張れ」
という意味よりも、一度立ち止まって、ここまで使ってきた力を整える日のように思えた。
私はこれまで、人生を変えるためにたくさん動いてきた。
仕事も、お金も、人間関係も、自分の内面も、そのままにしたくなかった。
以前の働き方から抜け出して、自分で仕事を作れるところまで来た。
WEBサイトも、最初から完璧に作れたわけではない。
何度も失敗して、分からないことを調べて、直してきたから今がある。
だから、前へ進もうとする力はこれからも大切にしたい。
でも長く続けていくためには、進むことと同じくらい、自分をすり減らさないことも必要なんだと思う。
重陽の節句は長寿を願う日だけど、「長く生きる」というのは、ただ年齢を重ねることだけではないのかもしれない。
自分が好きな仕事を、嫌いになるまでやりすぎない。
頑張れる身体を、壊れるまで使わない。
楽しいことを、義務になるまで詰め込まない。
自分が作ってきたものを、急いで大きくすることばかり考えず、丁寧に育てていく。
そんな生き方も、「長く続く」という意味での長寿に近い気がする。
9月は、増やすより整える月にしたい
8月の私は、仕事やWEBサイトのことを考える時間が本当に多かった。
自分の内面でも、いろいろな感情が表に出てきた。
動いたからこそ分かったこともあるし、実際に外へ出なければ気づかなかったこともたくさんある。
だから、その時間を否定するつもりはない。
ただ、9月は新しいものを増やすことだけではなく、今あるものを整えることにも意識を向けたい。
仕事の仕組みを整える。
自分の生活を整える。
身体を休ませる。
本当に必要なものと、もう必要ではないものを見直す。
そして、自分がこれからも続けたいものへ、ちゃんとエネルギーが循環する形を作っていきたい。
沖縄はまだ暑いし、体感としては全然秋じゃないww
それでも9月9日という節目に、「ここから何を増やすか」ではなく、「今あるものをどう育てていくか」を考えるのも悪くない。
重陽の節句。
陽が極まる日だからこそ、さらに頑張ろうとするのではなく、一度自分の真ん中へ戻る。
今年の私にとっては、そんな節句なのかもしれない。