# 彼に惹かれるのが怖くて、1か月間ずっと自分を掘り下げていた|カタリストが映したもの
最近、ある男性のことをずっと掘り下げていた。
もう1か月近く、同じことを何度も何度も考えていたと思う。
最初に感じていたのは、好きとか会いたいとか、そんな可愛い感情だけじゃなかった。
怖かったんだよね。
彼にどんどん惹かれていく自分が。
私は昔、不安型愛着が強くて、好きな人ができると相手の反応ひとつで感情が大きく揺れていた。
嫌われていないか、離れていかないか、私のことをどう思っているのか。
頭の中がその人のことでいっぱいになって、自分の生活や気持ちまで相手に持っていかれるような恋愛をしていた。
だから、ここまで何年も自分の内面を掘ってきたのに、好きな人ができた途端、また昔の自分に戻ってしまったらどうしようと思った。
積み上げてきたものが全部崩れてしまうのが怖かった。
それで私は、彼を好きじゃないと思い込もうとしていた。
彼のことをまだ何も知らないのに、
「もしかしたら、こういう人かもしれない」
「私が支えてもらうどころか、逆に支える側になるかもしれない」
「一緒にいたら苦労するかもしれない」
って、まだ起きてもいないことを頭の中で作って、彼を好きにならない方がいい理由を探していた。
彼に問題があるから離れようとしていたというより、彼に惹かれていく自分を止めたかったんだと思う。
でも、頭でどれだけ否定しても、気持ちは全然いうことを聞かなかった。
仕事をしている彼の姿は、やっぱりかっこよく見えた。
立ち姿も、凛とした雰囲気も、落ち着いているところも、クールで少しミステリアスなところも、声も、仕事ができるところも、私が男性に惹かれる要素をかなり持っていた。
会えない時間が続くと寂しくなった。
今まで楽しかった趣味をやっても、前みたいに楽しめない。
違う場所に出かけても、別のことをして気を紛らわせようとしても、結局また彼に意識が戻ってしまう。
今まで色があったものが、急に色褪せて見えるくらい、ほかのことでは気持ちを埋められなくなっていた。
ここまでくると、もう頭で消そうとするのは無理だった。
だったら、この感情が何を訴えているのか、徹底的に見るしかない。
そう覚悟を決めて、私は彼に対する感情を掘り下げ始めた。
今回使ったのは、大きく分けて3つの見方だった。
彼に見ているものは、自分の何を映しているのかを見る「鏡の法則」。
自分の中の男性性と女性性が、どんなふうに動いているのかを見る「性エネルギー」。
そして、この感覚を過去にも味わっていないかをたどる「幼少期のトラウマ」。
最初は何度掘っても、同じような答えしか出てこなかった。
嫌われたくない。
もっと会いたい。
安心したい。
彼の気持ちを知りたい。
何度考えても、また同じ場所に戻ってきて、堂々巡りをしているように感じた。
でも途中で、別の仮説を立ててみた。
もしかして彼は、私の中の男性性を映しているんじゃないか。
彼に対して、私は「仕事中は頼りになる」と感じていた。
周りを見て動けるし、落ち着いているし、現場では仕事ができる人に見える。
でもその一方で、
「この人に人生全部を預けて大丈夫なのかな?」
という不安もあった。
仕事をしている姿は頼もしい。
でも実生活ではどうなんだろう。
私が安心して甘えられる人なのか。
何かあった時に支えてくれる人なのか。
一緒に人生を作っていける安定感があるのか。
彼のことを何も知らないのに、私はそこをずっと疑っていた。
でも、もしこれが私自身の男性性を映しているのだとしたら?
そう考えた時、自分に対しても全く同じことを思っていると気づいた。
私は仕事では動ける。
その場を見て判断できるし、問題が起きた時にも対応できる。
WEBサイトを作る時も、何もないところから構造を考えて、試行錯誤しながら形にしていける。
自分に能力がないとは、そこまで思っていない。
むしろ、やればできることは分かっている。
でも、
「この自分に、自分の人生を任せて本当に大丈夫なのか?」
というところでは、自分を完全に信用できていなかった。
彼に向けていた、
「仕事はできる。でも実生活は大丈夫?」
という疑問は、そのまま、
「私は仕事では動ける。でも、本当に自分を幸せな場所まで連れていけるの?」
という、自分自身への疑問だった。
そこから、どうして私は自分の判断を信用できなくなったのかを掘っていった。
私はこれまで、インナーチャイルドを癒やす中で、
「自分の本音を大切にする」
「我慢せずに、やりたいことをやる」
「内側から出てきた願いを叶えてあげる」
ということをずっとやってきた。
それによって救われた部分は本当にたくさんある。
ずっと我慢してきた自分に、欲しいものを与えられるようになったし、自分の気持ちを無視しなくなった。
でも、ある時期の私は、
「内側から出てきた欲望は、全部叶えてあげた方がいい」
というところまでいっていた。
欲しいと思ったから買う。
やりたいと思ったからやる。
行きたいと思ったから行く。
その瞬間の自分を満たすことを優先して、後からどうなるのかまで現実的に考えられていなかった。
その結果、去年は大きな借金を作って、今年はその返済に追われることになった。
今振り返っても、何にそんなに使ったのか、はっきり説明できないものも多い。
その穴を埋めるために、
「早くWEBで結果を出さなきゃ」
「もっと稼がなきゃ」
って焦るようになって、結局、自分にとって負担の大きい仕事や、体力をかなり使う仕事まで入れることになった。
自分の本音を叶えてあげたかったはずなのに、最後は自分で自分を苦労する場所へ連れてきていた。
だから私は、自分を信用できなかったんだと思う。
「やればできる」は知っている。
追い込まれても何とかできることも知っている。
でも、
「この人の判断についていったら、また後から苦労するんじゃないか」
と思っていた。
そして、その「この人」は彼だけじゃなかった。
私自身だった。
ここで、私の中の女性性と男性性の関係も見えてきた。
女性性が、
「これが欲しい」
「これをやりたい」
「こんなふうに生きたい」
と言う。
それに対して男性性は、
「分かった。叶えよう」
と動いてくれた。
動いてくれたこと自体には感謝している。
ずっと我慢していた私の願いを無視せず、現実で叶えようとしてくれたから。
でも同時に、
「後からこんなに苦労するくらいなら、あの時止めてほしかった」
という怒りも出てきた。
欲しいと言ったものを、何でもそのまま渡してくれることが愛だったわけじゃない。
その瞬間の私だけじゃなく、未来の私まで守ってほしかった。
「今、この人が欲しいと言っているから」だけではなく、
「これを選んだ後、この人は本当に大丈夫なのか?」
まで考えてほしかった。
私が内側の男性性に求めていたのは、ただ優しくて、女性性のいうことを何でも聞いてくれる存在ではなかった。
必要な時には止められる自制心。
現実をきちんと見る力。
長期的に考える判断力。
未来の私を守るために境界線を引ける意思。
私自身が信頼できて、尊敬できるような、賢い男性性になってほしかったんだと思う。
でも、これは男性性だけの問題でもなかった。
女性性側も育て直す必要があった。
「欲しい」
「やりたい」
と思ったものが、全部、本当に深いところから出てきた願いとは限らない。
寂しいから欲しい。
不安だから買いたい。
自分の価値を感じたいから、何かを手に入れたい。
退屈だから刺激が欲しい。
誰かに認められたいから行動したい。
表面では、どれも同じ「欲望」に見える。
でも、その奥にあるものは全然違う。
だから、これから必要なのは欲望を全部抑えることでも、全部叶えることでもない。
インナーチャイルドが「欲しい」と言った時に、すぐに与えるのではなく、
「どうしてそれが欲しいの?」
「それを手に入れたら、本当は何を感じたいの?」
と対話すること。
本当に望んでいるものなのか。
それとも、不安や寂しさを一時的に埋めるためのダミーの欲望なのか。
そこを女性性自身も感じ分けられるようになる必要がある。
男性性は女性性を抑圧するためのものではなく、女性性が本当に望んでいるものを、安全に現実化するために使う。
女性性は、その瞬間に湧いた欲望を全部「本音」だと思い込まず、その奥にある本当の願いを見つける。
インナーチャイルドの癒やしや、ブロックを外すことだけじゃなく、性エネルギーのバランスまで見たことで、やっと今までとは違う答えが出てきた。
さらに掘っていくと、私はどこかで「苦労している方が落ち着く」のかもしれないと思った。
これまでの私は、
困る。
追い込まれる。
必死で頑張る。
何とかする。
そして、乗り越えた自分に達成感を覚える。
そんな流れを何度も繰り返してきた。
だから、修羅場で何とかする自分のことは信用している。
火事が起きた時に、必死で消火する自分の能力も知っている。
でも、
何も大きな問題が起きない。
最初から環境が整っている。
無理をしなくてもお金が入る。
好きな人とも普通につながっている。
誰かに支えてもらえる。
快適な環境で、好きな仕事をする。
そんな人生については、ほとんど経験がなかった。
私は「苦労を乗り越える能力」は信用しているのに、「苦労しなくても幸せに生きられる人生を作る能力」は信用していなかったんだと思う。
これから育てたいのは、火事が起きた時に消火できる自分だけじゃない。
そもそも、火事が起きにくい暮らしを作れる自分だった。
この気づきは、恋愛について考えた時にも、そのまま出てきた。
私は一時期、彼と付き合いたいわけではないと思っていた。
でも、
「じゃあ、どんな関係だったら私は彼と一緒にいたいと思うんだろう?」
と逆に考えてみた。
すると、私が本当に欲しい関係がかなり具体的に出てきた。
お互いに自分の仕事や収入があって、それぞれに自分の世界や趣味がある。
ずっとべったり一緒にいるわけではないけど、会いたい時には普通に会える。
同じ部屋で、それぞれ自分の仕事をしてもいい。
疲れたら一緒に昼寝をして、起きたらまた好きなことをする。
旅行の計画を一緒に立てる。
相手にも知的好奇心があって、私がやっていることにも興味を持ってくれる。
仕事だけが人生のすべてではなく、創作や趣味や旅行など、いろいろな世界を一緒に楽しめる。
そして、必要な時には相手が自然に支えてくれる。
私が欲しかったのは、苦労してやっと会える関係ではなかった。
相手に会うために毎回条件を整えたり、偶然を期待したり、相手の反応を読んだりしなくていい。
関係そのものが、最初から安全に存在している。
そんな感覚が欲しかった。
中でも「一緒に昼寝をする」という何気ないイメージは、私にとってかなり象徴的だった。
相手がそこにいるかどうかを確認しなくていい。
私を見ているかどうかを探らなくていい。
愛されているかどうかを、毎回推測しなくていい。
ただ一緒にいて、安心して眠れる。
私はずっと、そういう関係を望んでいたんだと思う。
そして、彼に対して感じていた、
「仕事はできる。でも私はこの人を完全には信用できない」
という感覚をさらに掘っていたら、父親に対する感覚と似ていることに気づいた。
父親も、仕事をしている姿はかっこよかった。
現場では能力のある人だった。
子どもの頃の私は父親のそばにいたかったし、仕事をしている姿を見たり、一緒に何かをしたかった。
でも、
「この人には安心して甘えていい」
「私の気持ちを受け止めてもらえる」
「この人のそばにいれば大丈夫」
という感覚とは、少し違った。
私の中では昔から、
「有能な男性」と「安心できる男性」は同じではなかった。
仕事ができること。
私を守ってくれること。
私の気持ちを受け止めてくれること。
安心して甘えられること。
それぞれが別のものになっていた。
だから彼に対しても、
「仕事はできる。でも人生まで任せて大丈夫?」
という目線を向けていたのかもしれない。
父親に対して、
「能力はある。でも安心はできない」
と思っていた。
彼に対しても、
「仕事はできる。でも人生を任せられるかは分からない」
と思っていた。
そして自分自身に対しても、
「能力はある。でも、この人に人生を任せて大丈夫なのか分からない」
と思っていた。
私はずっと外側の男性を観察しているつもりだったのに、実際には彼を通して、自分自身を見ていたんだよね。
ここまで一つずつ紐解いていったことで、彼に対する恋焦がれるような感情は、少しずつ薄れていった。
彼のことを好きじゃなくなった、という話ではない。
彼に向けていた強い感情の中から、父親への思い、自分の中の理想の男性性、誰かに安心させてほしい気持ち、自分自身への不信が、少しずつ分かれていったんだと思う。
彼のことをほとんど知らない段階で、あれほど強く惹かれていたのは、彼本人だけではなく、彼を通して感じていたものに私が強く反応していたからだった。
それを今回、知識ではなく、自分の感情を使って体験した。
スピリチュアルの世界では、こういう相手を「カタリスト」と表現することがあるらしい。
カタリストは英語で「触媒」。
その人と出会うことで、自分の中に眠っていた感情や課題、価値観が、一気に動き始めるような相手。
この見方をすると、今回の私の体験はすごく理解しやすかった。
彼が私に、
「父親との関係を見直した方がいい」
「男性性を育てた方がいい」
「もっと自分を信用した方がいい」
と言ったわけではない。
むしろ彼は、私がこんなことを考えているなんて何も知らない。
でも私は彼に惹かれ、会えないことで寂しくなり、彼の反応が気になり、安心できないことに不安を感じた。
そして、
「どうして私は、こんなにこの人に反応するんだろう?」
と掘り下げていった結果、
彼から恋愛へ。
恋愛から父親へ。
父親から男性性へ。
男性性から女性性へ。
そこから欲望、お金、苦労、自己信頼へ。
一見、何の関係もないように見えていたものが、全部一本につながった。
だから私にとってカタリストとは、答えをくれる人ではなく、自分の中にある答えを強制的に浮かび上がらせる人なのかもしれない。
こんなに課題を浮かび上がらせるために出会った相手なら、全部に気づいた後、この人との縁は終わってしまうんだろうか。
そんな不安もあった。
でも今は、課題に気づいたから縁が切れる、という単純な話ではないと思っている。
いろいろな投影が少しずつ外れていった時に初めて、
「私は彼本人をどう思っているんだろう?」
というところに立てるのかもしれない。
それでも惹かれるのか。
それとも、大切な気づきをくれた人として、自然に気持ちが離れていくのか。
今の私にはまだ分からない。
私は彼のことを、まだほとんど知らないから。
そして今回、私が一番驚いたのは、ずっと彼を観察しているつもりだったのに、実際には彼を通して自分自身を見ていたことだった。
「私は彼を信用できるのか?」
と問い続けていたはずなのに、最後に残ったのは、
「私は私を信用できるのか?」
という問いだった。
今の私は、迷わず「信用できる」と言えるわけではない。
実際に、自分の選択で自分を苦労させてきたことがあるから。
だから、何も考えずに自分を信じようとは思わない。
これからは、欲望を全部叶えることでも、我慢して全部抑えることでもなく、
「本当は何を望んでいるのか」
を女性性が感じ取り、
「それをどうすれば、未来の私まで守りながら叶えられるのか」
を男性性が考える。
そうやって、一つひとつの選択を積み重ねながら、自分が自分を安心して任せられる存在になっていく。
私は今、彼との関係の答えを出すより先に、自分自身との信頼関係を一から作り直している途中なのだと思う。