ふわふわスピリチュアルと、本当に現実創造できるスピリチュアルの違いってなんだ?
セミナーやサロン・スピリチュアル講座を受けみた。
ワクワクに従って申し込みをしてみた。
「ちょっと高いけど・・でも自分のやりたいことにお金を使えば循環するって言ってたから大丈夫なはず・・」
「この講座を受ければ、人生が変わりそう」
「すごい人の波動を分けてもらった」
「この話を聞けたから、もう大丈夫」
「いい情報をもらった」
会場にいるときは本気でそう思う。
なんなら、昨日まで悩んでいたことが全部解決したような気分になる。
でも翌朝になれば、待っているのは昨日までと同じ現実だ。
苦手な人との関係も変わっていない。
お金の不安も残っている。
やらなければならない仕事もある。
本当は決めなければならないことも、先送りにしたまま。
そして、何から始めればいいのかわからない。
するとまた、次の動画やセミナー、別のスピリチュアルリーダーを探し始める。
「前回の話では足りなかったのかもしれない」
「もっと波動を上げなきゃ」
「まだ私のブロックが外れていないんだ」
そうやって、学ぶことだけは増えていく。
だけど現実は、あまり動いていない。
スピリチュアルを学ぶことが悪いわけではない
先に言っておくと、私はスピリチュアルそのものを否定したいわけではない。
目に見えない感覚や直感に助けられることもあるし、自分では思いつかなかった視点に救われることもある。
傷ついてきた人にとって、
「あなたには価値がある」
「もっと自分を大切にしていい」
「すべてを一人で背負わなくていい」
「嫌なことはやらなくてもいい」
「嫌いなことから距離をとる」
「波動を上げれば全てうまくいく」
「ワクワクに従えばお金は回る」
という言葉は、救いになる。
**問題は、その言葉を何に使うかだと思う。
**
自分の現実を理解するために使うのか。
それとも、現実を見なくて済むように使うのか。
同じスピリチュアルでも、ここで大きな違いが出る。
ふわふわスピリチュアルは、気分が変わったことを「現実が変わった」と解釈する
講演会で感動したり、前向きな言葉を聞いて安心したりすると、心の状態は一時的に変わる。
視野が広がって、
「私にもできるかもしれない」
と思えることもある。
それ自体は悪いことではない。
ただ、そこで起きたのは、まず気分の変化だ。
気分が変わったことと、行動や人間関係、生活の仕組みが変わったことは同じではない。
たとえば「自分を大切にしましょう」という話を聞いたとする。
その言葉を聞いて涙が出ても、自分を大切にする方法がわかったとは限らない。
現実の中で自分を大切にするなら、
- 無理なお願いを一つ断る
- 疲れているから入れた予定を見直す、無理をして相手に合わせない
- 返事をする前に、自分の都合を確認する
- 本当は嫌だったことを認める
- 自分を雑に扱う人と距離を取る
-予定を詰め込みすぎない
-家族のために24時間使っていた時間を自分のために数時間とる
という行動に変換する必要がある。
「自分を大切にする」という言葉を知ることと、実際に自分を大切にする選択をすることの間には、結構な距離がある。
そして、その距離にあるのは、だいたい地味で面倒なことだ。
耳ざわりのいい部分だけ持ち帰ってしまう
スピリチュアルの話には、気持ちよく受け取れる部分がたくさんある。
「宇宙に任せればいい」
「波動が変われば現実も変わる」
「好きなことだけ選べばいい」
「もう叶った自分として生きればいい」
「ワクワク従えば宇宙銀行からお金がたくさんやってくる」
こういう言葉は魅力的だ。
何より、今の自分を否定せずに済む。
だけど本当は、話し合わなければならない相手がいるかもしれない。
生活習慣を変える必要があるかもしれない。
怖くてもやらなければならないことがあるかもしれない。
自分にも見直さなければならない部分があるかもしれない。
そこには痛みや面倒くささが伴う。
だから、
「今は運気的にタイミングではない」
「相手の波動が低いだけだから相手にしなくていい」
「私はもう願いが叶った世界にいる」
「あの人にもきっとつらい過去があったんだ」
「気分が乗らないからやらなくていいんだ」
と解釈して、現実に触れないようにする。
相手の事情を理解することと、自分が傷つけられ続けることを許すのは違う。
「好きなことを選んでいる」と言いながら、自分に対しては、
「私、頭が悪いから」
「学歴ないから」
「私は別にそこまでお金が欲しいわけじゃないからこのくらいで」
という自分を卑下する言葉を使い続けていることが多い。
この状態では、スピリチュアルが自分を自由にする知恵ではなく、現実に触れないための物語になってしまう。
本当に現実創造につながるスピリチュアルは、感情を消そうとしない
ふわふわしたスピリチュアルは、苦しい感情を早く消そうとする。
不安になったら、
「不安は波動が低いから手放そう」
「気分が悪くなることは考えたらいけない」
怒りを感じたら、
「怒ると悪いものを引き寄せるから、相手を許そう」
と考える。
一方、本当に現実創造につながる考え方は、その感情が何を知らせているのかを見る。
不安を感じたなら、
「私は何を怖がっている?」
「何がそんなに嫌だったの?」
「もし失敗したら、そのあとどうなるのが怖いの?」
「一人で頑張りすぎてるかも・・相談できる人を見つけようかな・・」
と考える。
怒りを感じたなら、
「私は何が嫌だった?」
「あの人の何が嫌?」
「何を雑に扱われたと感じた?」
と掘り下げていく。
感情を消すのではなく、感情が持ってきた情報を現実の選択へ変換する。
これが、ふわふわスピリチュアルと、本当に現実創造につながるスピリチュアルの大きな違いだと思う。
現実創造って、たぶん想像しているよりもずっと地味
「現実創造」と聞くと、大きな願いが突然叶ったり、運命的な出来事が起きたりするイメージがある。
でも、実際に現実を変える行動は、かなり地味だ。
- 毎月の支出を確認する
- 必要な連絡を一本入れる
- 嫌なことを嫌だと認める
- 睡眠や食事を整える
- 相手に期待する前に、自分の希望を伝える
- 小さな違和感を無視しない
- 必要のない人間関係や物を整理する
- 「できるか」ではなく「やりたいか」で考える
一回の覚醒体験よりも、こういう選択のほうが生活を確実に変えていく。
セミナー会場で感じる高揚感に比べたら、あまりにも地味に見える。
でも現実は、この地味な選択の積み重ねでできている。
大切なのは、
「波動が上がった気がするか」
ではなく、
「昨日とは違う選択を一つできたか」
なのだと思う。
学んだあとに確認したいこと
動画やセミナーで心が動いたとき、私はそのまま満足して終わらないために、次のことを確認したいと思っている。
なぜ、この言葉に惹かれたんだろう?
その言葉を聞いて、何がうれしかったのか。
どんな不安から救われた気がしたのか。
自分は何を見たくなくて、その言葉に希望を感じたのか棚卸しをしていく
そして、自分ととことん向き合ってみる。
- 自分の生活にどう活かせるのか
- どうやってそれを取り入れていこうか
- 何をやめないといけないのか
- 見直すべき思考って何かな?
考えて、それを取り入れて実際に行動する。
これがワンセットじゃないと現実はかわらない。
いい話を聞いても、昨日と同じ選択・思考・生活習慣を続けても、昨日と同じ未来が待っているだけ。
大事なのは、インプットしたらアウトプットこの基本ができてはじめて現実が動き出すもの。