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カフェを選ぶ基準
📔 TAKARAの日記 2026.08.16

私のカフェを選ぶ基準は「子連れが来なさそうなところ」

# 私のカフェを選ぶ基準は「子連れが来なさそうなところ」

私がカフェを探すとき、かなり重要視していることがある。

それは、子連れのお客さんが来なさそうなこと。

隠れ家的で、ファミリー向けではなく、できれば普段の生活圏から少し離れているところを選ぶ。

私はカフェで読書をしたり、パソコンで仕事をしたり、自分の内面を掘り下げたりしたい。

何より、ひとりだけの時間を楽しみながら、普段とは違う空気を味わいたい。

せっかく日常から離れるために来たのに、子どもの声が聞こえると、一瞬で現実に引き戻されるような感覚になるのだ。

もちろん、子どもがカフェに来ることが悪いわけではない。

子連れを禁止してほしいとも思っていない。

ただ、静かな空間を求めている私にとっては、子どもの声がノイズに聞こえてしまう。

だから私は、誰かに静かにするよう求めるのではなく、最初から自分が心地よく過ごせそうな店を選んでいる。

友人に話すと返ってくる「えっ……」という顔

この話を友人にすると、だいたい一瞬、

「えっ……」

という顔をされる。

でも、その反応は私にとって、もうお決まりになっている。

子どもの声をうるさいと思ってはいけない。

母親なら、子どもを最優先にしなければいけない。

自分だけが静かで心地よい場所を選ぶなんて、冷たい。

私には、相手の中にあるそんな罪悪感や禁止が、反応として表れているように見えることがある。

不快だと感じることすら、自分に許可を出せていない。

だから、罪悪感を持たずに自分の心地よさを選ぶ私を見て、戸惑うのかもしれない。

でも私は、子どもより自分を優先する瞬間があってもいいと思っている。

むしろ私の場合は、私ファーストでいないと、少しずつ心が荒んでいく。

自分の気持ちを無視し、我慢を重ね、自分だけを後回しにしていると、余裕がなくなって、結局その不満を一番近くにいる人へ向けてしまう。

だから私は、子どもを大切にするためにも、先に自分を満たす時間が必要なのだ。

友人と会うときも、子どもがいない日を選ぶ

友人と遊んだり、ランチをしたりするときも、子どもがいない日に会うのがお決まりになっている。

今はもう子どもも大きくなり、どこへ行くにも連れて歩かなければならない年齢ではない。

だからこそ、友人と会う時間くらいは、母親ではない私として話したい。

子どもの学校や育児について話すのではなく、自分の仕事のことや、これからどんな人生を生きたいのかを語りたい。

母親同士ではなく、ひとりの人間同士として会話をしたいのだ。

子どもが小さかった頃は、予定の組み方が今とはまったく違った。

どこなら子どもを遊ばせられるか。

子どもが退屈しないか。

食べられるメニューがあるか。

騒いでも迷惑にならない場所か。

何をするにも、子どもを中心に予定を決めていた。

それが必要な時期だったとは思う。

でも正直に言えば、あの頃の私は、自分の好きなことをほとんどできていなかった。

仕事はつらい。

恋愛もうまくいかない。

お金もない。

何を変えればいいのかもわからない。

八方塞がりの中、精神状態がギリギリのまま育児をしていた。

自分が何を感じているのかを確認する余裕もなく、ただ毎日を終わらせることで精いっぱいだった。

だから今は、ようやく自分の時間を優先できる段階まで来たという感覚がある。

長い間後回しにしてきた自分を、やっと迎えに行けるようになったのだ。

自分を優先しても、罪悪感を持たなくなった

以前の私なら、自分だけが好きな場所へ出かけたり、子どもを置いて友人とランチをしたりすると、どこかで罪悪感を持っていたかもしれない。

でも今は、自分を優先することにほとんど罪悪感がない。

それは、

「母親は子どもを最優先にしなければならない」

「自分だけ楽しんではいけない」

「我慢することが愛情だ」

という、自分の中にあったブロックを見つけて、少しずつ外してきたからだと思う。

子どもを大切にすることと、どんな場面でも子どもを最優先にすることは同じではない。

母親だからといって、自分の心地よさを諦める必要もない。

自分を犠牲にし続けなければ成立しない愛情なら、いつかその犠牲を相手にも返してほしくなる。

「私はこんなに我慢したのに」

「あなたのために諦めたのに」

そんな思いを抱えながら子どもに接するくらいなら、私は自分の好きな場所へ行き、自分の心を満たしておきたい。

そのほうが、家に帰ったときに余裕を持って人と接することができる。

私にとっての「私ファースト」は、誰かを大切にしない生き方ではない。

自分をすり減らした結果、周りまで嫌いにならないための生き方なのだ。

女性の働き方は変わったのに、母親像だけが残っている

今の世の中には、女性が自分を優先しづらくなる価値観がたくさん残っていると思う。

特にフルタイムで働いている女性は、仕事では一人の社会人として、男性と同じように結果を求められる。

決まった時間に出勤して、体調や気分にかかわらず一定の成果を出し、周りに迷惑をかけないように働く。

その一方で、家に帰れば、

「母親なんだから子どもを優先して当然」

という価値観が待っている。

女性の役割は増えたのに、昔からある母親像だけは、そのまま残っている。

私は、女性が仕事に向いていないとは思っていない。

ただ、今のフルタイム労働の環境は、女性の身体や生活の変化を前提に作られていないように感じる。

毎日同じように動き続け、結果を出し、家でも誰かのために働く。

行動すること。

頑張ること。

耐えること。

成果を出すこと。

そんな男性性的な力ばかりを使い続けていたら、休むこと、受け取ること、自分の感覚を味わうこと、心地よさを選ぶことができなくなっていく。

私はそれを、女性性が枯渇していく状態だと思っている。

女性性が育ちにくい価値観が世の中に蔓延しているからこそ、私はもっと、

「自分を優先していいんだよ」

ということを伝えていきたい。

子どもがいても、母親でも、誰かの妻でも、フルタイムで働いていても、自分が心地よくいられる場所を選んでいい。

休みたいと感じたら休んでいい。

ひとりになりたいと感じたら、ひとりになっていい。

子どもの声を聞きたくない日があってもいい。

そう感じる自分を、悪い人間にしなくていい。

自分を優先することは、誰かを大切にしないことではない。

自分の人生から、自分自身を消さないために必要なことだから。

だから私は、これからも子連れが来なさそうなカフェを選ぶ。

誰かに「えっ……」という顔をされても、そこだけは譲らない。

私が私でいられる時間を、もう二度と後回しにしたくないから。

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