自分を掘り下げるとは?過去の思い込みから解放され、未来の自分を選び直す習慣
「自分を掘り下げるって、結局何をすることなの?」
心理学やスピリチュアルを学んでいると、自分と向き合うことや、感情を掘り下げることが大切だとよく言われる。
でも、実際に何をすればいいのか、いまいちわからない人も多いと思う。
私にとって掘り下げとは、過去を思い出して何度も悲しむことではない。
今感じている感情を、そのまま「現在の自分の本音」だと思い込まず、
これは本当に今の出来事に対する感情なのか。それとも、過去の傷が疼いているだけなのか。
そこを見分けるための習慣だと思っている。
ほとんどの人は、過去の思い込みで今を生きている
私たちは今を生きているようで、実際には過去に作られた思い込みを通して、目の前の出来事を見ていることが多い。
相手から返信が来ない。
いつもより声が冷たかった。
自分の意見を否定された。
誘ったのに断られた。
起きた出来事だけを見れば、それほど大きなことではない。
でも、その出来事に過去の傷が反応すると、
「嫌われたかもしれない」
「もう必要とされていないのかもしれない」
「このまま見捨てられるかもしれない」
と、急に不安が大きくなる。
その感情は、今の相手がすべて作ったものではない。
子どもの頃に自分の気持ちを受け止めてもらえなかった経験や、大切な人から突然離れられた経験、親の機嫌を読みながら過ごしてきた記憶が、現在の出来事によって刺激されていることがある。
つまり、今の感情だと思っていたものが、実はずっと昔から抱えていた傷の痛みだったりする。
「その人が好き」ではなく、傷を埋めてほしかったこともある
過去の私は、不安型愛着で見捨てられ不安が強いタイプだった。
誰かと一緒にいないと無理だと思っていたし、相手の態度が少し変わるだけで不安になった。
嫌われないために相手へ合わせ、自分の意見を引っ込めることもあった。
当時は、その人のことが好きだから苦しいのだと思っていた。
でも、自分の感情を掘り下げていくと、本当に欲しかったのはその人ではなかったと気づくことがある。
その人から愛されることで、
「私は捨てられない」
「私は大切にされる価値がある」
「私は一人ではない」
と安心したかっただけだった。
相手そのものを求めていたというより、過去に得られなかった安心や愛情を、相手から受け取ろうとしていた。
そこに気づくと、
「どうして私は、この人をこんなに好きになったんだろう」
という答えも見えてくる。
その人が特別だったからではなく、自分の傷にぴったりとはまる何かを持っていたから、強く惹かれていただけの場合もある。
傷が癒えると、人の言葉に振り回されなくなる
掘り下げを続けて過去の傷を癒やしていくと、人の言葉にも簡単には傷つかなくなる。
以前の私は、相手の言葉をすぐに自分の価値と結びつけていた。
否定されたら、自分が間違っている。
冷たくされたら、自分が嫌われた。
相手が不機嫌なら、自分が何か悪いことをした。
そんなふうに、他人の感情まで自分の責任として受け取っていた。
でも今は、
「相手がそう感じることと、私の価値は別」
「相手が不機嫌でも、私が機嫌を直す必要はない」
「この人の言葉を、すべて受け入れなくてもいい」
と分けて考えられるようになった。
他人との境界線を引けるようになったことで、人間関係のために自分を犠牲にすることも減った。
寂しさを誰かで埋めなくてもよくなった
私は以前、誰かと一緒にいないと寂しさに耐えられないタイプだった。
だから恋愛が終わると、相手を失った悲しみだけではなく、一人になる恐怖まで一気に押し寄せてきた。
でも、掘り下げを続けるうちに、自分の寂しさを自分で受け止められるようになった。
寂しいときに、なぜ寂しいのかを考える。
本当は何を求めているのかを聞く。
休みたいのか、安心したいのか、話を聞いてほしいのかを見つける。
そして、自分が求めているものを、できる範囲で自分に与える。
それを繰り返していたら、今では人恋しくなる瞬間がほとんどなくなった。
昔は「一人では無理」だった私が、今では「一人のほうが快適かもしれない」と思うくらい、自分で自分を満たせるようになった。
ただ、掘り下げの目的は、二度と寂しくならない人になることではない。
寂しさを理由に、必要のない人へしがみつかなくなること。
一人でも満たされている自分が、そのうえで本当に一緒にいたい人を選べるようになることだと思う。
インナーチャイルドを癒やしても、昔の反応は出てくる
私は、自分のインナーチャイルドはほとんど癒やし終わったと思っている。
だからといって、過去の反応が完全になくなったわけではない。
今でもふとした瞬間に、
「嫌われたくない」
「相手の機嫌を損ねたかもしれない」
「こんなことを言ったら悪く思われるかな」
という無意識の癖が出てくる。
長年繰り返してきた反応だから、傷が癒えたあとも、思考の癖として残っているんだと思う。
でも、昔と今では大きく違う。
昔は「嫌われたくない」という恐れが出たら、その感情に従って相手へ合わせていた。
今は、
「また昔の反応が出てるな」
「これは今の私の望みではなく、過去に身につけた癖だな」
と気づける。
気づいたうえで、
「じゃあ、これからの私はどうしたい?」
「未来の私は、この場面で何を選ぶ?」
「嫌われないことと、自分を大切にすることのどちらを優先する?」
と問い直す。
恐れを完全になくしてから動くのではなく、恐れがある自分とも向き合いながら、未来の自分に合う選択をする。
それが、今の私が続けている掘り下げだ。
私が感情を掘り下げるときに考えること
何かに強く反応したとき、私は次のようなことを考える。
1. 実際に何が起きたのか
2. その出来事で、私は何を感じたのか
3. 私は何が起きることを恐れているのか
4. 似た感情を、過去のどこかでも感じていなかったか
5. 本当は相手に何を求めているのか
6. それを自分で満たす方法はないか
7. これからの私は、ここで何を選びたいのか
大切なのは、最初に出てきた感情を否定しないこと。
「こんなことで傷つくなんておかしい」
「まだ不安になる私は成長していない」
と責める必要はない。
反応が出たということは、まだ自分の中に見てほしいものが残っているというだけ。
その感情に飲み込まれるのではなく、
「どうして、こんなに反応したんだろう」
と自分に聞いてみる。
それだけでも、感情に振り回される状態から、自分の感情を見つめる側へ戻れる。
掘り下げは、未来の自分をデザインするためにある
掘り下げというと、過去ばかりを見続けるものだと思われるかもしれない。
でも、私にとって掘り下げは、過去にとどまるための作業ではない。
過去の傷が作った反応に気づき、そのたびに、
「私はこれから、どんな自分として生きたいのか」
を選び直すためにある。
インナーチャイルドが癒えても、昔の癖が出ることはある。
でも、その反応に気づかないまま、過去と同じ選択を繰り返す必要はない。
反応が出るたびに向き合い、未来の自分ならどうするかを考える。
その積み重ねで、少しずつ人生の選択が変わっていく。
私にとって掘り下げとは、過去の傷を何度も眺めることではない。
過去の反応が出るたびに、「これからの私はどう生きたい?」と問い直し、未来の自分を選び直すこと。
過去の思い込みに、これからの人生まで決めさせないための、魔法の習慣なのだと思う。