映画『グリーンマイル』を見て感じたこと。便利で快適な世の中は果たして幸せなの?
昔にも見たはずなのに、今回は死刑執行の場面を見ながら、映画そのものとは少し違うことを考えていた。
作中で描かれるのは、電気椅子による死刑方法
そのもっと昔には、ギロチンなどの処刑が、人々の見える場所で行われていた時代もある。
マリーアントワネットもその中の一人で、無惨な殺人現場なはずなのに、あの時代の人たちはそれを平気で見ていたと思うとゾッとする。
現在では、国や地域によって、薬物注射などの方法が用いられていて、最期苦しまずにするスタイルが、より人道的になってきたのかな?と思ったりもする。
もちろん、方法が変わったからといって、死刑をめぐる問題が解決したわけではない。
それでも、人が苦しむ姿を娯楽のように眺めていた時代と比べれば、人間の道徳心や、他者の苦痛に対する感受性は少しずつ変化してきたのだろうか、と思った。
地球の波動が上がったから、人間は残酷ではなくなった?
スピリチュアルな言い方をするなら、
地球自体がアセンションしてきているから人々の意識も少しずつ少しずつ変容していったのかなとも思うんです。
昔は、人を傷つけたり殺したりすることが、今よりずっと身近だった時代がある。
今では人権という考え方が広がり生き方自体を見直す運動も盛んになってきたなーと思います。
生活は便利になり、昔より安全に生きられる時代。
ライフラインは整えられて、行きたい場所には地球の裏側にもいけるようになった。
好きな人といつだって繋がることができるスマホがあって、お金も電子に変わりつつあるし、パソコン1台で仕事ができるようにもなった。
それなら私たちは、昔よりずっと幸せで、心にも時間にも余裕があってよさそうなものだ。
でも、本当にそうだろうか。
身体を直接傷つける苦痛は減っても、比較、孤独、焦り、終わりのない自己否定のような、見えにくい心の部分は便利になればなるほど置き去りにされていってる気がする。
AIで仕事が速くなったのに、私は朝から晩までパソコンを見ている
私は、AIを使って仕事をしている。
以前なら何時間もかかった作業が、短時間で終わる。
文章も、調査も、仕組みづくりも速くなった。
だから本来なら、もっと時間に余裕があっていいはずなのに、現実の私は、朝から晩までずっとパソコンを触っている。
作業が速く終われば休むのではなく、
「ここも効率化できる」
「もっといい仕組みにできる」
と、次の改善点を探してしまう。
自分が快適に過ごすことよりも、システムを快適に動かすことに夢中になっている。
そのとき、ふと思った。
**思考で追い求めた便利さは、人生を横に広げることはできても、精神を縦に深めてはくれないのではないか。
**
エゴの便利さと、魂の快適さ
エゴが求める便利さは、
「もっと速く」
「もっと多く」
「もっと正確に」
「もっと失敗しないように」
という方向へ進んでいく。
便利さによって、できることは増える。
選択肢も増える。
今いる場所から、より速く先へ進めるようになる。
でも、どこへ向かうのかは教えてくれない。
方向を決めないまま速度だけを上げれば、望んでいない場所へ、以前より速く到着することだってある。
でも早く行けたところで心が満足するとは限らない
目標に届いても、次は何する?ってもう次を見てしまう。
やれるだけ可能性を広げようとしてしまう。
再現がない欲望をずっと追い続けてしまう。
**一方で、魂が望む快適さは、単に便利さを追求したり、楽をすることではないと思う。
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「これは本当に私がしたいことなのか」
「心の底から楽しいのか」
「この時間の使い方に納得しているか」
「得たものが、自分や誰かへ循環しているか」
そんなふうに、自分の内側と今の生き方が一致している状態。
それが、魂にとっての快適さなのかもしれない。
便利さは余白を作る。でも、その余白を守るのは自分
AIが1時間の仕事を10分にしてくれても、残った50分にまた仕事を詰め込めば、人生は楽にはならない。
便利さには、余白を生み出す力がある。
でも、その余白を休息や遊び、誰かとの時間に使うと決めるのは、技術ではなく自分自身
エゴ《思考》に任せたまま生きていこうとすると、欲を満たす方に振り切ってしまう。
エゴで作り上げたものは、便利になっても循環はしずらいんじゃないか?っても思うの。
思考で作ったものは、横軸でどこまでも広げられる。
でも、それと同時に、それまでになかった新たな課題をもたらしてくる。
AIが世界中で使われ始めた今、サーバーの熱をどう逃すかという環境問題もある。
いつだって便利な機能は、それと引き換えに未来に負債を残してきた。
魂から望んだことは、循環する
思考から生まれた欲望には、終わりがない。
ひとつ手に入れると、すぐに次の不足が見つかる。
でも、魂から望んだことは、もう少し循環に近い気がしている。
自分が本当に望むことを選ぶと、実はそこまで便利な機能や最先端の技術なんていらないってこともわかる。
だって元々自然と一体になってる方が私たちは幸せを感じるようにできているから。
自然と切り離される生活をするから、何かしらの不調や理由のわからない満たされない感情に突き動かされてしまって、それを娯楽という別の形で補っているだけにしか過ぎないから。
もちろん、魂から望んだことなら、何でも楽に進むという意味ではない。
怖さや努力が伴うこともある。
たくさんいろんなことに挑戦して、失敗したり、夢を叶えて今だから思うけど、人って実はそんなに多くのものを求めていない。
**ただ「私を認めて欲しい」っていう欲求に突き動かされているだけ。
**
その表現方法が人によってバラバラになるけど、大元は一緒なんだよね。
私が『グリーンマイル』を見て、最後に考えたこと
人は長い時間をかけて、不便を減らしてきた。
苦痛を減らす方法を考え、病気を見つけ、遠くの人と瞬時につながり、AIに仕事を手伝ってもらえるところまで来た。
それでも、便利さだけでは幸せになれない。
便利さは、今いる場所から速く進むためのもの。
快適さは、そもそも自分が進みたい方向にいるのかを確かめるものだから。
『グリーンマイル』の死刑執行の場面を見ながら、私は人類の進歩について考えていたはずだった。
けれど最後に突きつけられたのは、
「私は自分の人生を便利にしたいのか。それとも、自分の魂が心地よくいられる人生を生きたいのか」
という問いだった。
たぶん、今の私に必要なのは、さらに効率のいいシステムじゃなくて
AIが作ってくれた余白を、次の仕事で埋めないこと。
パソコンを閉じて、自分の感覚に戻ることかもしれない。